愛媛の地に同友会をつくることを誓いあって・・・設立から30年の歩み

国吉 昌晴氏

<国吉 昌晴・プロフィール>
1943年北海道美唄市に生まれます。
1966年北海道大学教育学部卒業以後6年間地域経済研究機関で地域経済の研究および書誌の編集に携わります。
1972年北海道中小企業家同友会に奉職、1974年事務局長に就任。
1984年北海道同友会を退職後、中小企業家同友会全国協議会(略称:中同協)に奉職。
1985年中同協事務局長に就任し1996年中同協専務幹事に就任。
2006年中同協会副会長となり、現在に至ります。
1985年愛媛同友会設立に中心的に関り、その後30年の愛媛同友会の運動にも重要な役割を果たしています。

―入会のきっかけ

私は北海道生まれの北海道育ちで、北海道大学教育学部で社会教育を専攻し、地域の経済を研究するため、農村調査をしていました。
大学卒業後、北海道の各大学の方々や地域の方々と共に協力しながら北海道の地域経済を研究し出版物を出す仕事をしていました。
1969年に北海道中小企業家同友会(略称:北海道同友会)が設立され、地元の新聞に取り上げられていました。そして何度か取材で北海道同友会に出入りしていました。そこで当時初代事務局長だった大久保尚孝さんと出会い、取材の中で色々と学ばせていただいていました。知識として中小企業が地域を支えていることは知っていましたが、当時の私は実際の個々の中小企業経営に関しては全く知りませんでした。


しかし、同友会に出入りしている中で、例会に参加して経営者が生の体験談を語り、それを真剣に議論をし、勉強をしている姿を見て、こんなに熱心に経営について、あるいは地元の経済のあり方について、人材教育について議論するのかとびっくりしました。
そんな時に大久保さんから中小企業を取材したりする仕事よりも同友会で一緒に働きませんか、と誘われました。そして1972年29歳の時に北海道同友会事務局に入局しました。
その後、12年間北海道同友会で働いて、1984年に中小企業家同友会全国協議会(略称:中同協)に移りました。中同協に移ったきっかけは、北海道同友会は規模は最大の同友会で、当時全国の会員が16,000名程でしたが、そのうち北海道同友会が4,000名を占めていました。北海道同友会は道内の主要都市に支部を持っていて、中同協は全国に同友会をもっと作っていかなくてはいけないという方針を持っていました。北海道で組織作りの経験を積んできていたために中同協に呼ばれました。

 

当時全国に同友会は26都道府県でした。中同協に来て初めて設立した県が山形同友会で、その次が愛媛県でした。全国で28番目の同友会です。愛媛は中同協に来て早めに設立に立ち会ったこともあり、大変思い出深い同友会です。
―愛媛県中小企業家同友会設立について

四国4県の中で香川県が一番早く設立しました。香川県で既に同友会ができていて、それを知っておられ、愛媛県でもつくろうと思いたったのが先月号の会報誌で鎌田哲雄さんも名前を上げておられた故・渡部尚明さんです。香川同友会でリーダーとして活躍しておられた三宅昭二さんも愛媛で設立の動きがあることは知っておられました。その中で事務局体制がしっかりしていた方が良いという話になり、愛媛県には最初から事務局長を置いて運動していったほうが良いと話していました。


関西ブロックの事務局長会議で『事務局長候補の方はおられませんか』と呼びかけてみたところ、滋賀同友会の廣瀬元行さんが『同じ大学の先輩で大阪の法律事務所で働いているやる気のある人がいる。』ということで鎌田さんを紹介していただきました。早速会わせてくださいとなり、大阪のとあるホテルのロビーで鎌田さんと話したことを今でも覚えています。


『中小企業の経営者は普通の方の何倍も努力をして、自分、自社、社員の生活を守るために努力をしている。鎌田さんもそれまでは知らなかった世界です。しかし、こういった人たちと共に人生を歩めるということは、あなたの人生を何倍にも中身の濃いものにします。それは私自身が身を持って体験しました。』といった話をしました。


中小企業の経営者と接する楽しさもありますが厳しさももちろんあります。こういった中小企業のみなさんと一緒に勉強しながら自分も育っていく。厳しいけれども中身の濃い仕事ができる。それが同友会の運動であり、これは日本でも貴重な運動です。様々な中小企業団体があるが、これだけ明確に理念をもって運動し続けている団体は世界的に見ても同友会だけです。以上のような話を鎌田さんと話して、ところで愛媛県には行ったことがありますかと聞くと、行ったことはないと言ったので、すぐ行こう、という話になりました。そして松山に2人で行き、松山を全部見ることは出来ないが、見渡すことはできる、といって松山城に登りました。大きな視点で松山を、愛媛同友会をどう作っていくのか、一緒になって頑張るし、この地にいる中小企業の経営者の方々と共に頑張りましょうと誓い合いました。
そして鎌田さんは27歳で布団一式車に積んで愛媛に来た、ということです。

設立に関しての愛媛県での苦労は鎌田さん、藤井さんのおっしゃっていた通りです。
―全国から見た愛媛同友会

愛媛県は、同友会とは何かというものを浸透させ、広げていくという点では他都道府県に比べてなかなか難しい県でした。同友会に関心を抱き、運動している方々一人一人が確信を持って同友会について語れるようにならないと同友会を広めることは難しい。そのためには中身の濃い活動をしていくことが大切になってきます。中身を充実させていくことに愛媛県の設立から重きを置いてきました。先月号にもHPにも掲載されている愛媛同友会の歴史にもそのことが書かれています。


愛媛同友会会員なら誰もが経営指針を持とうではないか、と活動してきたのは当時は全国でも先進的な同友会です。また、同友会の大きな特徴は労使見解を大切にして、それに基づいた社員教育を行うこと。社員との信頼関係を築くこと。経営者自らが学び、自らを変えていくこと。その様子を社員も認識する。一緒にどう良い会社を作っていくのか。そして自分自身の人生・生活を豊かにしていく。こういった活動もしっかりしている県だと思います。実際に社員教育活動全国研修交流会や労使問題全国交流会もそれぞれ早い段階で2回開催しています。このような活動が愛媛同友会の今まで30年間の前半の大きな特徴ではないかと思います。
中学生や大学生のインターンシップ等、地元教育機関との連携に関しては全国に先駆けて行われています。

 

会員数の割に対外的な活動ができていることも賞賛されうることだと思っています。これは松山市だけでなく、当時の川之江・伊予三島支部、現在の四国中央支部という松山市から離れてはいても、松山だけで活動していなかったという点が広い視野を持って活動できた大きな理由ではないかと思います。先進的な地域のリーダーがいたから愛媛県の質を高く維持出来ていると思います。
―同友会での学び、生きていることの価値

私ももちろんそうですが、人間生きていれば、どう社会的に自分自身の存在価値、納得のいく人生を築き上げていかなくてはいけないかを考えます。
それは自分が世の中のために本当に役に立っているのか。自分が、人生を終えるときに社会的にも評価できる人生を送れたなと思える人生を送りたいと思ってきました。


小規模企業振興基本法が全会一致で今年の6月の通常国会で通りました。私は衆議院経済産業委員会で参考人として招かれて、発言する機会がありました。様々な議員からの質問に答える中で中小企業にどう若い人達に関心を持ってもらうのかを考えなくてはいけないと改めて感じました。

 

自分の人生の選択は、一つ一つは偶然かもしれないが、自分がどのように生きるか、真剣に考えることで、到達したのが今であり、それは最良の選択肢だったと思っています。
―失敗や成功、思い出

力をいれることが不十分だったと感じることはいくつもありますが、これは失敗だったと感じることはあまりありません。2005年に47番目の県として秋田県中小企業家同友会が設立されました。新しく生まれる同友会が順調に成長していくのかというのは中同協の大事な責任だと思っています。しかし、組織づくりの条件を整える点で十分な支援ができなかったために、今でも会員数等で悩んでいる県があります。これは心残りです。中同協として、ケア、支援をしていけたらと思う部分はあります。しかし、基本は企業と同じで、各地域で努力し、自主・自力で発展していって欲しいと思っています。

―愛媛同友会への期待

愛媛同友会は設立当時の苦労があったことはよく知っております。しかしそれを愛媛同友会の強みに転化する努力をされてきたと思っています。例会の中身の充実や経営指針を持つ運動、社員教育への意識の向上等、まさにそうだと思います。このような力が条例策定にも活かされ、大きな影響力を持っていると考えています。同友会運動は深めることと広めることが重要です。愛媛同友会は深めることを丹念にやってこられました。では深めてきてどう広めていくか。広めていくということは同友会の重要な使命です。愛媛県全域に同友会運動を広めていくことは難しいことですが、未開拓の地域にどう広げていくのかは重要な組織戦略になると思います。役員、事務局共に計画的に組織建設を進めていってほしいものです。量も質もともに大切なことです。

 

愛媛同友会は今まで質を深めてきたからこそ、量を拡大し広げる努力をしていってほしいと思っています。

インタビュアー・文責:伊井 達哉(愛媛同友会 事務局員)

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